中村ひろしが描いた明主さま

『教育まんがえ本 明主さま 世界救世教教祖の話』は昭和39年12月、青山書院発行。40年2月に4版発行。表紙は上田三郎、まんがは中村ひろし。 明主さま(岡田茂吉)の生涯をまんがで描いたもの。これを読めば明主さまのことがわかる。扉絵にタイトルが…

悔庵子「学問の徳たる実に大なり」

『悔悟の花』は本多澄雲著、法蔵館発行、明治33年7月発行。大正4年4月3版版発行。これは奥付の表記で、表紙では『銕窓随筆 悔悟之花』。本多は編者で、実際の著者は悔庵子といふ匿名。どこかに所蔵があるだらうか 本書成立の経緯をまとめると、まづ獄中の…

太田脩三「形なき児を愛せよ」

『形なき児を愛せよ』は太田脩三著、横浜の古泉洞出版部発行、昭和14年 6月発行。題字は山本英輔、大久保忠春、序文は松平年正。 書名だけでは内容がわからない。この本の趣旨は、自分よりも優れた子孫を後世に残さうといふもの。これこそ人間の使命であ…

へその緒祀った彝倫道協会

『建国の由来と彝倫道協会の概要』は奥付がないが、文章中に皇紀2600年1月の日付があるので、昭和15年頃の発行。26ページの冊子。 彝倫道協会宣言によれば明治45年設立し教義を定め、奉斎、祭祀、慰霊、祈祷、蔵祀の事業を行ひ殿堂を建立。以来3…

藤田一郎「天地万物は神造神作にあらず」

『執中学派立教大意 執中学則略解 執中学派主義目的 執中学派々憲』は、表題の文書を一冊にまとめたもの。奥付なし。正誤表つき。「執中学派立教大意」は藤田一郎述、明治20年3月22日とある。 藤田一郎が立教した執中学派について紹介されてゐる。執中…

新社家には神罰下ると痛罵した鈴木義一

『みかげ』は鈴木義一著、昭和59年9月発行、賀茂御祖神社々務所発行。非売品。著者の喜寿、神職身分特級昇進、神職生活50年を祝賀して編集、発行された。序文は二條弼基、黒神直久。 著者は明治40年7月、愛知県生まれ。22年間神宮に務め、部長や関…

下位春吉の話を覚えてゐた金川服三郎

『須田町印刷工場報』は昭和14年5月発行の非売品。巻号はないが創刊号らしい。51ページ。須田町工場が優良工場として表彰されたことを記念して発行された。写真は看板、表彰状、26名の集合写真、工場体操の様子など。 工場は衆議院議員、滝沢七郎の印…

変態的知識欲漢だった狩野獲麟

『教導』は日本大学宗教学科教導会発行。創刊号は昭和9年4月発行。教導会は日本大学宗教学科の在学生と卒業生の連絡機関。大正6年の宗教科設立以降、自然に組織されたといふ。12年の関東大震災でなくなったものをこの度復活させた。会長は小松雄道。 『…

北条秀司がハルピンで出会った大野由紀子

『枻 人間讃歌』は枻出版社発行。木偏に世でエイと読む。ファミリィ、フレンド、フィロソフィそしてフリーダムをテーマとする人間礼讃誌を謳ってゐる。隔月発行で昭和49年1月号は第2号。正誤表つき。特集は大満洲。現代ではなかなかこのタイトルはつけら…

源義経入満説を唱へた松室孝良

無類に面白かった。『大陸秘境横断』は島田一男著、昭和47年4月発行。岩淵慶造装幀。島田は推理小説・探偵小説作家。その前に満洲日報記者として15年間勤務してゐた。 本書は10章にわたり、島田が各地を探訪した取材行をもとにしたもの。ノンフィクシ…

宮城音彌が警戒した読書教

すてきな切り抜き。題して「読書教」。筆者は東京工業大学教授の宮城音彌。10月の読書週間に際して書かれた。 宮城が小学3年生のころ、先生が言った。「本を開くとき、昔は礼をしたものだ」。その日から宮城たちは本を開くときに礼をするやうになった。こ…

村井長正「こをどりしたるすっぱき思ひ」

『歌集 仰瞻』は村井長正著、山田孔版印刷所発行、平成11年5月25日発行。非売品。189ページ。書名は表紙と背、扉のもの。奥付では『村井長正遺歌集 仰瞻』。ギョウセンと読む。仰ぎ見る、の意味。情報皆無の稀書。 手元のものには村井和子夫人による…

反共新聞だった東京新聞

『新聞社 パッカードに乗った森の石松』尾崎宏次著、光文社発行、昭和30年3月25日発行。4月25日に8版発行。裏表紙の文章が長い。著者略歴ならぬ著者紹介文になってゐる。大正3年生まれ。昭和12年、都新聞社入社。文化部記者として演劇、映画、音…

バートレットと神道問答をした田中尚房

『佛教』能潤社発行、第11号は明治23年1月27日発行。表紙の目次では佛教、論説、評論、雑録、演説、投書、雑報となってゐる。雑報は宗教条例、各宗懇話會から始まって天才と早熟、愛知佛教會、目誌外数件まで記載がある。ところが中を開いてみると、…

比田秋子「ヅカガールを九人だけ私に下さいませんか」

『小説世界』は小説世界社発行、昭和24年12月号は第2巻第12号。その中に「花(はな)の刃(やいば)」といふ文章が載ってゐる。比田秋子著、納富進絵。表紙では「米将暗殺を命ぜられた私の告白」。本文の見出しには「暗殺乙女隊の顛末」ともある。リ…

葉山青城の本を古本屋に売ったy氏

刑政特別号『人』は刑務協会発行、昭和24年4月発行。刑務所や犯罪などの随筆、小説などが寄稿されてゐる。その中に加藤武雄「y氏の盗み」がある。読んでみると、出版社の社員が会社の本を盗んで、古本屋に売って飲み代にする話だった。昔の話といふ設定…

英米の反道徳的行為を数へ上げた井上哲次郎

『修養世界』修養世界社発行、昭和17年10月号は第31巻第9号。通巻360号。井上哲次郎が「大東亜戦争と道徳」を書いてゐる。 昨年の開戦以来、皇軍は連戦連勝で戦果を挙げてゐる。これは、日本には神ながらの道があるからだ。英米にはさういふ道や道…

漢字廃止に執念を燃やした米沢良知

『尾崎行雄先生の志を継いで』は米沢良知著、甲府市の漢字廃止研究会発行、昭和46年4月発行。 著者は明治32年11月生まれ。印刻業に従事してゐたことがあり、漢字に造詣を深めた。満洲国皇帝の御璽も献納した。山梨水晶株式会社を設立し社長を務めた。…

長戸路政司「敬愛運動は霊火運動である」

『敬愛』は千葉市の敬愛運動本部発行。昭和12年4月発行号が創刊号。64ページ。長戸路政司主幹の運動。西郷隆盛の敬天愛人を基にしたとされてゐるが、詩情あふれる言葉が並んでゐる。 愛は一より二に、村より町に、日本より大陸へと不退転なる天業具顕の…

日蓮神社の建設を提唱した塩津淳一

『忠聖 日蓮傳』は塩津淳一著、大東亜立正協会発行、昭和19年4月発行。原稿自体は昭和18年8月ころまとめられたものか。 本書は日蓮の伝記だが、宗教家の枠を超えた勤王家としての日蓮に焦点を当てたもの。インド式の俗世を避ける仏教ではなく、非常時…

前方後円墳の造営を提案した長沢九一郎

『氏神と人間完成』は長沢九一郎著、氏神崇敬人間完成会発行、昭和35年6月発行。正誤表付き。発行所の人間完成会は富岡八幡宮内にあった。この本は同八幡宮などで行はれた講演などをまとめたもの。長沢の写真も載ってゐる。丸眼鏡でマイクの前に立ってゐ…

山崎清「読書は危険だ」

『顔の散歩 へぼと立派の考現学』は山崎清著、美和書院、昭和31年10月発行。著者は長くフランスに滞在し、石黒敬七とも一緒にゐた。ムーランルージュの裏にも住んでゐた。執筆時は日本在住。 古今東西の人物の顔について、個人の感想を書き連ねたやうに…

「笑われる覚悟」で書いた大光明眞雄

『歩く道が与えられた道 昭和初頭の人生実記』は大光明眞雄著、中外日報社、昭和59年9月発行。序は杉田有窓子。 著者の読みは、おおみや・しんゆう。明治40年愛知県豊川市生まれ。大正大学、大東出版社、知恩院布教講習所を経て、樺太の豊原開教ののち…

走水神社昇格運動と国防神社

『みそぎ』國學院大學皇國禊會発行、昭和11年5月発行の第5号は大祓普及徹底号。大祓詞を載せ、「如何なる祭典にも大祓を全員にて合唱すべき」「戦争以上の祭典は大祓の言霊の絶大威力に依つて始めて実現せらる」と強調する。 副会長の中野晴弘が「禊の社…

明治神宮への散歩を欠かさない税所弘

『うつ病は神がくれたメッセージ』は税所弘著、平成2年10月初版、12月で3版。リヨン社発行、二見書房発売。デザイン森下年昭、イラスト小野みき。 著者は昭和26年生まれ。著者略歴によれば宇多天皇の血筋を引くといふ。東西両医学を学ぶ。税所一族の…

金子三四郎「姿勢こそ至誠である」

『汝の姿勢を見よ』は金子三四郎著、金子事務所発行、昭和11年5月発行。序に曰く。 私は一介の実業家であるが、宇宙人生の原理及び国体の本義について特異の信念を持ち、曽て旧著に於て大嘗祭と戴冠式との異同、菊花御紋章の神秘的由来、古事記と創世記と…

田崎仁義「議場はすなはち高天原の天の安河原である」

『講演時報』は時事通信社発行、第20年第706輯は昭和18年10月5日発行。旬刊で月3回発行してゐる。この号は全24ページのうち23ページと、ほぼ一冊すべて田崎仁義の「国難に処する敬神生活」に充てられてゐる。 田崎は大阪商科大学教授などを務…

高野佐三郎・高野泰正共著『剣の気魄』を買った染谷常雄

『剣の気魄』は高野佐三郎・高野泰正共著、協同公社出版部、昭和17年11月発行。手元のものは18年2月の再版。 17年6月の序は高野靖斎とあるので、佐三郎のものとわかる。前年12月の開戦以来の戦果を特筆する。 日本天皇は世界人類の王者として君…

『博物館の少女』に出てくる国家神道

『博物館の少女 怪異研究事始め』富安陽子著、偕成社、令和3年12月発行、を拝読しました。舞台は明治16年の東京。大阪から上京した古物商の娘、花岡イカルが偶然と運命に導かれて上野の博物館で手伝ひをすることになり、台帳と実物を調査。黒手匣がなく…

野原剛堂が世話をした富田弥平と家族たち

続き。『随筆 地方記者の生涯』には地元秩父出身の議員、荒舩清十郎、疎開に来た彫刻家、北村西望との関はりも記される。しかしここで特に注目するのは、富田弥平に関する記述。 彼は学校卒業後大隅公爵の用心棒となり或は台湾総督田健次郎の食客となり後大…